PROJECT STORY 04

モータースポーツを起点とした
もっといいクルマづくりを追求

DGRグループリーダー
殿村 裕一
2007年入社
理工学部 機械工学科卒
DGRチーフエンジニア兼ラリードライバー
相原 泰祐
2012年入社
工学研究科修了

INTRODUCTION

DAIHATSU GAZOO Racing(DGR)、それは「モータースポーツを起点としたもっといいクルマづくり」をミッションに掲げるダイハツのモータースポーツ部門だ。2023年1月に活動を本格スタートさせたDGRは、その年の11月に参戦したラリージャパンにコペンGRスポーツで参戦。みごと完走してクラス優勝を手にした。メンバーが一丸となって改善に改善を重ねたからこそ、勝ち得た栄冠。チームを立ち上げ、けん引した2人のリーダーの活躍を追った。

PHASE

ディスコン車ではなく、現行車でモータースポーツに参戦する。

モータースポーツに魅せられた
2人の出会いからすべては始まった。

話は2017年、当時、商品企画グループのリーダーを務めていた殿村のもとに、相原がメンバーとして異動してきた、その出会いの時までさかのぼる。殿村は18歳の頃からモータースポーツの世界に足を踏み入れ、以降、パリダカを初めとする国内外のレースでエンジニアとして活躍してきた実績を持つ。一方の相原は、ラリーに参戦するレーシングチームを作って、自らドライバーとしてラリーにプライベート参戦していた。
当時、相原が乗っていたラリー車はすでに生産終了してしまったディスコン車。故障も多く、限界を感じており、現行車で参戦し知見を市販車に活かしたいと考え、かねてより憧れを抱いていた殿村にコペンでラリー参戦について相談し相原のチームに殿村を監督として招き入れたのが、コトの始まりだった。

相原を驚かせた
コペンの高いポテンシャル。

ダイハツ・コペン。今は世界で唯一の軽自動車スポーツカーだ。2002年に初代モデルが発売され、2014年には、殿村が自ら企画開発に携わり、二代目コペン(コペンローブ)を世に送り出した。そのコペンで、殿村は自身がドライバーとなってジムカーナというモータースポーツに出場するなかで、コペンのモータースポーツ車両としての可能性を感じていた。相原もまた、2018年に筑波で開催された「D-SPORT カップ」で初めてコペンの競技車両でサーキット走行テストし、その高いポテンシャルに驚いた。
コペンの一番の強みは、その旋回スピードにある。軽く、重心が低く低慣性で、速いコーナリングが可能だ。そしてボデー剛性。剛性が高いため、サスペンションを柔らかくすることができ、縁石を踏んでも跳ねずにしっかりグリップする。一方で2人は、車体を下方に押し付けるダウンフォース不足に課題を見出すとともに、さらに剛性を高めるともっといいクルマになるに違いないと感じていた。
そうした改善ポイントは、相原が担当し翌年に市販されることになるコペンGRスポーツの開発にも生かされることになった。ここにこそ、現行車でモータースポーツに参戦する意味がある。モータースポーツで浮き彫りになった課題を、次の市販車開発に生かすのだ。まさに、「モータースポーツを起点としたもっといいクルマづくり」をさっそく実践できたと、2人は手応えを感じた。

PHASE

国際自動車連盟に認められた、軽自動車の存在感。

大会でクラス2位に輝くも、
その後は停滞期へ…。

コペンでラリー参戦を始めた2年目となる2019年、大きな節目となる出来事が起こった。世界ラリー選手権(WRC)ラリージャパン開催に向けたテストイベントである「セントラルラリー」で、殿村たちのコペンチームがクラス2位に輝いたのだ。格上のライバル車をおさえての堂々たる2位で、ドライバーを務めた相原は3日間にわたってコンマ何秒という戦いを繰り広げるなかで、コペンの強さを再認識した。
勢いに乗ったチームは、翌年のラリージャパンに向けて「次は優勝だ!」とやる気に燃えていたが、誰も予想だにしなかった新型コロナウイルス感染症の流行により、2020、2021、2022と3年続けて開催見送りとなった。その間に、ライバル車はモデルチェンジ。コペンを凌駕する高い戦闘力を備えた車両を作り上げた。大会は開催されず、ライバル車にも差をつけられ、殿村と相原はどうにも晴れ晴れとしない日々を送ることになった。

国際大会で完走し、
クラス優勝を手にする。

そんなもやもやとした気持ちを吹き飛ばそうと、2人はコペンのラリー車の改善に情熱を注いだ。2021年には会社からもDGRとしての活動を認知され、本社敷地内にあるコペンファクトリーの一角を用いて、こつこつと車両に手を入れ続けた。「追い風じゃない時は扉を無理にノックしても開かない。開く時に備えて自分たちにできることをやっていればいい」、そんな心持ちだった。
そして2022年の秋、ついに扉は開いた。新型コロナウイルス感染症の拡大が落ち着き、WRCのシーズン最終戦としてラリージャパンが開催されたのだ。満を持して参戦したコペンGRスポーツは、みごと完走を果たし、クラス優勝を勝ち取った。2人がかねてより高いポテンシャルを感じていた軽自動車のコペンが、国際大会で結果を出したわけである。
その時、一つ目標を達成したと喜んでいた殿村のもとへ、WRCの主催者であるFIA(国際自動車連盟)から意外なメッセージが届いた。「ありがとう。コペンが優勝したことでWRCの裾野が広がったように感じる」と。コペンは、参戦している他の競技車から見ると、実に小さな車である。しかしだからこそ、使う材料もCO2排出量も少ない、いわば地球環境との親和性が高い車だ。それでいて、ラリーを勝ち抜くだけの性能を有している。その魅力がFIAの面々にも伝わったのだ。気がつけば、この大会でコペンは軽自動車を代表して、次の扉を開いていた。

PHASE

正式に組織として発足し、本格的な改善活動をスタート。

「次」に向けて山積する課題。

DGRは、会社から正式に組織として認められ、翌2023年1月から活動を本格的にスタートさせた。実を言うと、2022年のラリージャパンはクラスで1台しかエントリーしていなかったため、完走すれば優勝は決まっていた。だが、次はそうはいかない。ライバル車たちもエントリーしてくるだろう。そこで勝つためには、ボデー剛性に冷却性能、ブレーキ性能と、改善すべき課題は山のようにある。新たにグループリーダーに就任した殿村と、チーフエンジニアを拝命した相原、そしてラリーメカニックなど、さまざまな役割を担うプロフェッショナルが集まって、DGRガレージでの改善活動が始まった。

「モータースポーツを起点とするもっといいクルマづくり」の取り組み。

小さなラリー大会に参戦しては、課題を洗い出し、改善して次戦に臨む。決して同じ仕様では出場しない。思うような成果が得られなければ、悔しい。次はどうすればいい? メンバーが積極的にアイデアを出し合う。そこには役職も年齢もない。「クルマ屋」として建設的に意見を戦わせる。そうやって「もっといいクルマ」に仕上げ、また大会で検証する。
こうしたPDCAをスピーディに、メンバーそれぞれが「役割のプロ」としてまわせるところが、モータースポーツの魅力だ。実はダイハツは2008年以前にもモータースポーツに参戦していたが、その時は活動を外部に委託しており、クルマの認知度を上げて販売につなげようとするマーケティング的な要素が強かった。今回のDGRは、単純にモータースポーツ活動の復活のように見えるが、中身はまったく異なる。売るためではない。PDCAの全工程をダイハツ社員たちがまさに現地現物で行い、クルマ屋としての知見を得る「もっといいクルマづくり」の取り組みなのだ。
その魅力が伝わったのか、改善活動にはDGRの正式メンバーだけでなく、シャシや制御といった各部署の有志メンバーも参加し、いつしか全社活動のような広がりを見せていった。

PHASE

ボルト一本でも良くするために、ラリー大会に参戦し続ける。

最も小さな軽自動車のスポーツカーが
手にした勝利。

そして迎えた2023年11月、WRCラリージャパン当日。この一年間、メンバーが改善に改善を重ねて作り上げてきたコペンGRスポーツのラリーカー。自分たちが追求してきた「いいクルマづくり」の答え合わせの場である。同じクラスには、限界までチューニングされたラリー仕様のライバル車が顔をそろえていた。会場をピリピリとした緊張感が漂うなか、DGRのメンバーが集う一角からは笑い声が響く。監督の殿村がとにかく明るい。他のメンバーも軽快にそれに応える。家族的で楽しい「仲間」という雰囲気がDGRの魅力であり強みだった。
レースは悪天候のコンディションとなったこともあり、クラッシュやリタイアで継続を断念するチームも出るなか、コペンGRスポーツは全コースを走り切り、JRCar3クラスで2年連続の優勝を果たし、総合順位でも完走28台中23位と飛躍的に順位を上げた。最も小さな軽自動車のスポーツカーが、高出力のライバル車と競い合って勝利を手にした。これ以上ない、最高の結果だった。

封鎖された一般公道での限界走行が
安心・安全が担保できるクルマ作りにつながる。

なぜモータースポーツ活動をするのか? それもラリー大会に参戦するのか? 殿村と相原は口をそろえて「もっといいクルマづくりのため」と言う。ラリージャパンで走行する道路はサーキットではなく、普段は一般のドライバーが日常生活で使う道だ。そこを封鎖して限界走行に挑む。それは車両の耐久促進試験ともいえる。負荷の高い極限の走りをすることによって、一般の人が10年乗って出るような事象が1日で出てしまう。
ダイハツのお客様がその道を走る時、路面がウエットであったり、動物が急に飛び出してきたり、急ぐ必要があって普段よりもスピードを出したりと、さまざまな状況が考えられる。どのような場合でも、安心・安全が担保できるクルマ作りを行うための知見を集める場が、このラリー大会への出場であり、モータースポーツ活動なのだ。得られた知見は、今後のダイハツ全車種の開発にも生かされていく。だからこそDGRのメンバーたちは、どこまでも改善にこだわるのだ。
こうした取り組みがダイハツ全社に広がり、仲間が増えていけば、ダイハツ車全体がより良くなっていくことはまちがいない。そう、「モータースポーツを起点としたもっといいクルマ作り」は、いよいよこれからが本番だ。